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10.102020
ダナン通信:特別編
【回想】ダナンの日本語教師として・・・
ご無沙汰しておりますが、コロナウイルスの影響により日本に帰国いたしました。
2020年3月28日に帰国し、ダナンでの約7か月間の生活が終わりました。1月後半からは旧正月休みや、休校により数えるほどしか学校に行くことができず、生徒のみんなには直接挨拶することもなく帰国してしまったので、残念な気持ちでいっぱいです。今回は、滞在中の思い出などを紹介したいと思います。
ダナンでの生活の中心は、中学校と高校の日本語のクラスで日本語教師アシスタントとして活動することでした。
学校へは、制服の代わりにアオザイを着ていくこともありました。街の仕立て屋さんで生地とデザインを選び、2500~3500円くらいで作ることができます。ベトナムでは学校の先生たちはアオザイを着ることが多いのですが、地域によって差があります。
北部のハノイでは着る先生は少なく、南部のホーチミンなどではほとんどの先生が着ているということです。ダナンなどの中部では、割合はその中間くらいのようです。 11月の先生の日にはアオザイを仕立てるための生地が学校から先生にプレゼントされます。
ベトナム人先生がアオザイ、私が洋服を着て一緒に歩いていると、他の先生が私にベトナム語で話しかけてくるということがありました。アオザイを着ているとベトナム人によく間違われていたので、市場など観光客の多い場所では、土産物を売り付けられるということもほとんどなく、言葉以外においては現地に溶け込んでいました。
学生の制服ですが、中学生は、白いシャツに赤いチーフを首に巻くというスタイルで男女とも下はズボンです。高校生は、男子はシャツにズボン、女子はアオザイでした。名札ですが、バッジではなくワッペンで貼り付けてあります。
担当した学校は4校あり、クラスは6年生から 12年生までの19クラス。担当クラスの生徒数は計780人ほど。生徒の名前を覚えようとしましたが、週一回か隔週でしか会わないので、ほんの一部しか覚えられませんでした。
因みに、ウイキペディアによるとベトナム人に多い名前は上位から、グエン(阮)さん、チャン(陳)さん、レ(黎)さん、ファム(范)さん、フイン/ホアン(藩)さん・・・と続きます。上位10位の姓で人口の 85%です。漢字も併記しましたが、現在は使われていません。
ベトナム人のスタイルの良さについて・・・
日本人の私から見ると、ベトナム人のスタイルの良さには憧れます。特に民族衣装のアオザイを着るときには、スタイルを際立たせるために胸にパッドを入れている女性も多いそうですが・・・
ベトナムに来て思ったことが、スタイルもさながらなぜ姿勢がいいのか?ということです。主観的になりますが、「赤ちゃんの時からバイクに乗っているから」というのが私の解釈です。ベトナムでは幼稚園児でも、お母さんの後ろにピッタリくっついてバイクに跨っています。
曲がるときなどは重心を取らなければいけないので、体幹が鍛えられているのではないか思います。日本では自転車やバイクで無茶な運転をし、重大な事故につながることが多いと思いますが、ベトナムではいつでも止まれる、避けられるスピードで運転します。瞬時に判断できる運動神経の良さも兼ね備えているのではないかと思われます。
ダナンでの生活のなかで一番苦労したことですが、やはり言葉です。以前、中国語を半年くらい習ったことがあるのですが、声調の発音でつまずき、英語以外の語学はもう習わないと決めていました。
ベトナム語を習い始めたとき、アルファベット表記だからそのまま読めば何とかなるかな?と軽い気持ちで考えていました。しかし、日本での研修でかなり厳しく指導していただいたにもかかわらず、現地では始めのころはほとんど通じず、生活していけるのか不安になりました。
学校へ行くときは、近いところへは自転車で、遠い学校へは、主にタクシー利用をしていました。バイクタクシーは許可されていなかったので、マイリンタクシーをいつも利用していました。ベトナムではマイリンタクシーとビナサンタクシーが有名で、比較的安心して観光でも利用できると思います。
学校へは始めのうちは、配車アプリで予約をしていましたが、同じドライバーの方に頼んだほうが楽ということもありタンさんという方と、タンさんがお休みの日はスンさんにお願いすることにしました。
お二人ともベトナム語しか話されないので、ベトナム語で時間と場所を伝えるのみで、それ以外の会話は一切できませんでした。もし、英語を少し話せる方であれば、世間話くらいできたかもしれません。
3か月ほどたったある日、日本のお菓子をスンさんにおすそ分けしたことがありました。すると翌週、学校に向かう途中で朝ご飯を一緒に食べないかと誘われました。
学校の近くにブンボーフエ(中部の都市フエの名物料理)の美味しいお店があり、それ以降、週2回朝ご飯を奢っていただいてから、学校へ行くようになりました。ブンとは米粉の麺、ボーは牛肉、フエは地名です。
ベトナム語でコミュニケーションがなかなか取れなかったのですが、ドライバーさんとは、これを機にほんの少しだけ会話ができるようになりました。連絡先を交換したので、いつかダナンに行くことがあればぜひお会いしたいと思っています。
ダナンから25キロほど南にホイアンの街があります。世界遺産にもなっていますが昔、日本人町があった場所です。
日本と縁のあった日本人やホイアンの街を次回は紹介したいと思います。
橘 昭子