ベトナムビジネス入門

第1回 ベトナムの法律の難しさ、その壁を乗り越える

伏原先生のベトナム法律・ビジネス入門 筆者紹介

伏原さんは「ベトナム語の達人」。もう 20 年近く前、ベトナム語の衛星放送ニュースで伏原さんの同時通訳を鮮明に記憶しています。大阪大学の桃木至朗教授は「彼 の前世はベトナム人?」と指摘されています。その伏原さんが近年に日本とベトナム 両国の法律を勉強されて、世界で初めて外国人としてベトナムの弁護士養成課程を修了。そして以下で紹介するような「未踏(みとう)」法律コンサルティング会社を設立されました。
ビジネス交渉を伏原先生にお願いするとどうなるか。私は何度か同行をお願いしましたが、交渉後の深い満足感や達成感を初めて経験しました。それはなぜか?
第1に、商談相手のベトナム人が伏原先生の語学力に驚愕する・・・これだけで交渉では優位な気分になります。第2に、日本語の説明不足を補ってくれる・・・日本人の間では言わなくても相互理解できること(暗黙の了解)をベトナム人に説明してくれます。第3に、単なる通訳ではなく、商談の中で言ってはいけないこと、また詳しく説明した方が良いことなどを日本語で助言してくれる。もちろん、そのためには商談の目的や到達点について事前の打ち合わせが不可欠です。第4に、今後の商談の方向性について助言をもらえます。
最強のベトナム語通訳者であり、論理的思考ができるビジネスコンサルタントであり、ベトナムの法律を熟知し、さらにベトナム人の思考方法・文化・慣行も理解している。まさに前人未踏の領域に伏原さんは踏み込まれたのだと私は思います。 また、「未踏」法務コンサルティング会社に所属されている日本の弁護士資格をお持ちの塚原長秋先生とも私は何度かお話ししたことがあります。東京本社の有名な法律事務所に所属してハノイに駐在されていたのですが、もっと中小企業の皆さんの法務やビジネスの問題解決に貢献したいと言われていたことが印象に残っています。さ らに代表弁護士のズオンさんは日本語堪能。商談では丹念にメモを取りながら、同時 に鋭いまなざしで資料を読まれる姿勢が印象に残っています。

一般社団法人 日本ベトナム経済交流センター 副理事長
流通科学大学教授

上田義朗


日本人にとって、ベトナムの法律が難しいものであると感じることは、当然のことである。それは、まずベトナムの法律は外国の法律だからだ。けれども、ベトナム人にとって、ベトナムの法律が分かりやすいかといえば、そうとも言えない。法律の意味が理解できない感じるベトナム人も少なくなく、特定の法律の内容について、国の当局に聞かないとわからないと平気で言うベトナム法の専門家も少なくない。

なぜ、そうなるのか。こうした壁をどうしたら乗り超えることができるのかを皆さんと一緒に考えてみたい。

ベトナム法の基本的な立ち位置

法律とは何か、という哲学的な問いはさておき、ベトナムの現在の法律は、共産党が国を指導する最高の機関だとする建前の下、統治階級である労働者階級による統治の手段として捉えられるべきだという考え方が、少なくとも形式的に支配している。私がハノイ法科大学の第二学士課程(平日の夜と祝日に授業があり、すでに学士号を1度は取得しているベトナム人が法学士になるための勉強をする課程である)にかつて入学した際には、入学試験としてマルクス・レーニン主義、そしてホーチミン思想(マルクス・レーニン主義を基本としてベトナムにおける社会統治のあり方を示した故ホーチミン氏の考えを体系化した考え方)に関する試験を受けなければならなかったし、法律基本科目である「国家と法の一般理論」においては、法律は、共産主義革命のための国家統治の道具として語られている。ベトナムの法律は、今でも、公式には「支配のための道具」であるとされているのである。このような法律観は、日本を始めとするいわゆる近代国家におけるそれとは明らかに異なるように見える。個人の価値や尊厳を最高の価値とし、それを保障するための民主主義・自由主義的な装置としての法律体系ではないように思えるからである。

ベトナム法の構成から見よう。

国としての最高法規は、日本と同じく憲法である。しかし、ベトナムでは憲法に違反した法律や政令、行政行為を無効にするという法規範はなく、立法や行政行為の違憲性を判断する裁判所の機能も存在していない。
憲法の下には、国会が定める法律がある。法律が出来た後、その法律を施行するための細則である政令が政府(日本における内閣)によって定められ、さらにその政令を施行するための細則である通達が各省庁によって定められる。ベトナムの政令や通達は、国会が定めた法律の内容を具体化するものであり、実質的な意味では法律そのものである。法律はできたものの政令や通達がまだない場合には、法律自体が存在していないように取り扱われる場合がある。

ベトナムの法律は深い森のよう?

ベトナムの法学生や弁護士等は、ベトナムの法律を評して、まるで深い森のようだとよく言う。それは、なぜだろうか。それは、ベトナム法の世界においては。法を解釈するという文化や活動が非常に乏しいという点にある。

日本や欧州大陸各国等におけるいわゆる大陸法の世界では、立法機関が定めた法律の条文の意味や適法範囲が、大学や裁判所等の法学専門家による解釈作業を通じて明らかにされてきた。しかし、ベトナムでは、憲法上、法律の解釈権は国会にあると定められていること、法律は統治階級による支配の道具であるという前述のような考え方を根拠として、学者や裁判官などによる法律の条文を解釈する活動が著しく抑制されてきた。では、国会が法律の解釈をどれだけ行ってきたのかというと、極めて限られたいくつかの条文にについて限られた解釈を示しただけにと留まっている。法律の意味やその具体的な内容の多くは、ベトナムでは法律に基づいて策定される施行規則であるところの政令、通達に定められることが多い。実質的意味の立法行為が行政機関によってあからさまに行われているのである。
法律の解釈をする文化や活動が殆どないことは、つまり、実定法の解釈を行う際の理論的、学説的な礎がないまま、法律を運用しなければならないことを意味する。少なくない弁護士や裁判官は、具体的な個別の事件において、自らの独自の見解に従った法の解釈・適用を主張するという状況が生まれる。「弁護士や裁判官が10人いれば、11通りの法解釈、法的理由がある」とベトナムの法曹界でよく言われるのはまさにそのことを示している。

では、国の行政機関が法律の実質的な内容を決めるのか?

政府や各省庁、地方行政機関等(正確に言えば、行政機関に働く役人の方々)は、そのためもあって、自らが法律の番人であり、法律の内容を決めるのは私だというような顔をすることが多い。しかし、法律の実質的な意味や適用範囲は、行政機関の役人が決めるものではないはずである。そこでは、法律がいったい何をどういう風に決めているのかについて、論理的な正しさ、社会的な妥当性、公平さ等に基づいて、彼らの言うことを再検査することが必要となる。役人が間違ったことを言っているならば、私たちは、やさしく、丁寧に彼らに教えてあげることができるのである。

法の用語から探す立法者の意図

とはいえ、ベトナムの法律は理解が難しいのではないか、と疑問を持つことは間違っていない。外国人である我々にとってはなおさらである。ベトナムの法律はベトナム語で記述されている。各国の法律、各社会の法律はその国や社会で多数の人が使っている言語、言葉で記述されている。法律の条文はもとより、法律の内容について語る裁判書、学者や法曹関係者による評論や分析などは、彼らが使っている言葉を解せない限り、それを理解することはほぼ不可能である。確かに、ベトナムの法律の条文のうち主だったものは、英語に翻訳されている。また、日本語にも翻訳されているものがある。けれども、法律に使われている言語や言葉の表記は、その法律の実質的な意味が言葉という記号を通じて表現されているに過ぎない。法律の条文の実質的な意味を理解するためには、そうした記号を通じて宣明されているルールや規範の本来的な意味を探求することが必要となる。

時代や社会の価値観の変遷を理解すると、法律への理解が深まる。

ソビエト連邦の崩壊に起因する旧社会主義諸国の変容を契機に、ベトナムは社会主義的市場経済という方向性に舵を切った。それまでは経済活動を行う主体は国有企業しかなかったが、国有企業以外の主体にも経済活動を担わせるためもあり、ベトナムは様々な法制度を改正・制定してきた。かつては企業法制といえば国営企業の活動に関する法律しかなかったが、株式会社や有限会社などといった近代的な会社形式を整備することにより、自由な経済活動を可能な限り尊重し、促進しようとしている。

もっとも、民法、商法、企業法といった私法体系を全体的に見れば、日本など各国における近代法体系とは異なる法的基盤の上に依然として立っている。その顕著な現象は、民法の位置づけに見ることができる。民法は一般に、かつてのローマ法をその起源とする。ローマ市民に適用される法律として刑法・行政法など公法的な領域を含むものとして存在していたものが、ローマ帝国の拡大にしたがって、公法的な領域については帝国内における各地方の権力が用いていたルールが適用されるようになったものの、市民と市民の間の関係を調整する私法的な関係については、ローマ法が適用された。また、各地方における商業的慣習は、その地方に当てはまる商法的規範として形成された。民法は市民間の関係をつかさどる普遍的なルールであり、個人の生活であれ、企業や商人による商業的活動であれ、基本的な規範は民法に依拠してきた。一方、ベトナムにおいては、国営企業が中心であった経済活動と一般庶民の自給自足的経済活動とは区別され、法制度上においてもお互いに交わることがなかった。現在の企業法は、企業活動を管理するための法制度として捉えられている。社会の富を活用した合理的な経営を支援するためのガバナンス装置を設定する機会を提供する法律というよりも、国が企業を管理するための法制度であると理解されている傾向が強い。一方で、民法は、企業活動や商業活動において適用されるのかどうかといった論説が研究者や法曹関係者によって真面目に議論されているということにも表れているように、自由な市民社会の基礎法としての位置づけではなく、道端でフォーの屋台を開いている人々や、小さな商店を営む人々、自給自足の生活をしている人々のためにのみ適用される法律であるという感覚が強くある。もっとも、最近では、民法の位置づけを私法における基本法として捉えなおそうという動きも出てきており、その進展が期待される。民間企業、私的経済の重要性、さらには市民社会がきちんと機能することの大切さについてベトナムの人々は認識を深めてきている。このように、日本と同じような名前の法律があるといっても、中身や実態が大きくことなることがあるし、法律の実質的な規範を知るためには、法律の条文だけでなく、法律が作られてきた過程や人々の議論の状況を知る必要がある。これでは確かにベトナムの法律は難しいと思わざるを得ないが、ベトナムの社会で生きる人々の関心や価値観の変化を感じ取ることにより、意外に分かってくることも多い。

改めて、ベトナムの法律は難しいか?

このように、ベトナムの法律を難しいと感じる理由はたくさんある。これまで述べたように、ベトナム人自身ですら深い森のようだと感じる部分もある。それも真実である。他方、法律はその社会に生きる人々の社会の実態を反映するルールであるから、その社会に住む人々の現実や生活から切り離して理解することはできない。人々はその社会において、依然として普通に存在しているのであるから、難しいと感じるか、やさしいと感じるかに関わらず、法律やルールはその社会に普通に存在しているのである。例えば、人が働けば、働いた分だけの給料を受け取るべきだと考え、そのお金を使って物を購入すれば、値引き交渉を行ってその物にふさわしい価格を設定しようとし、その物に欠陥があれば、交換や賠償を要求するべきだと人々は普通に考えて行動するのである。ベトナム人社会が求める正義や公平の感覚を敏感に感じることができれば、法律はある意味において普通に理解することができるはずである。

ベトナムの法律は、深い森のように複雑な部分もあれば、シンプルに実社会での正義や公平の感覚から出てきている部分もある。今回の連載では、そうした様々な側面を、具体的な法律と場面に即して、皆さんと一緒に考えていきたい。

この国の法律に輝ける光を探すことが大切だ
ハノイ市、ホアンキエム湖の夜景・国を護る亀が祀られている

伏原 宏太

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